放課後、アカデミー職員室は異様な熱気と緊張に支配されていた。
校庭まで響く職員達の声、しかし彼らは熱く教育論を交わしているわけでも、指導方針を議論しているわけでもない。窓ガラスをビリビリ震わせるほどの大声は、ただひとつのことを繰り返していた。
「「「「写輪眼のカカシは畑野さん、写輪眼のカカシは畑野さん」」」」
「はい、もう一度っ」
教務主任が指揮をとる。
「「「「写輪眼のカカシは畑野さんっ」」」」
「そうだ、頭に、いや、いっそ魂の奥まで叩き込め」
「「「「写輪眼のカカシは畑野さん」」」」
「魂に刻み込むんだ、それしかオレ達に道はない」
「「「「写輪眼のカカシは畑野さん、写輪眼のカカシは畑野さん」」」」
「もう一度だっ」
「「「「写輪眼のカカシの正体は畑野カカシさんっ」」」」
「なぁ、ソレ、おかしくね?」
必死の唱和を続ける職員達にのんびりとした声がかかった。
「畑野、の方が偽名なんだからさ、そこは『畑野カカシの正体は写輪眼のカカシ』だろ?」
ずずーっとお茶を啜る音がする。
「まぁ、素顔全部晒してんのは『畑野カカシ』の時だったからある意味当たってんだけどな」
あはは、と笑うのはこの事態を引き起こした張本人、うみのイルカだ。拳を突き上げる同僚達の傍らに椅子を引っ張ってきて、一人呑気にお茶を飲んでいる。
「イルカァ」
同僚であり親友のヒラマサが突き上げた拳をイルカに向けた。
「なにのんびりお茶やってんだよっ」
そうだそうだと他の職員達も騒ぎだす。
「元はと言えばお前が悪いんだろーがっ」
「お前さえあんな紹介の仕方してなけりゃ」
「私達、こんな苦労せずにすんだんですよっ」
ギン、と職員全員の目が吊り上がった。
「「「「なぁにが『畑野カカシさんは忍びと縁がなかった人ですからびっくりさせないで下さいね』だぁっ、里一番の上忍じゃねーかっ」」」」
そう、アカデミー職員達は皆、うみのイルカの恋人、畑野カカシが実は木の葉の看板忍者、写輪眼のカカシだということを知らなかった。全く知らずに気安く付き合ってきた。そりゃもう、ほんっとーに気安く構い倒してきたのだ。
なんたって『畑野カカシ』は超絶美貌でありながら控えめで穏やかな好青年で、しかも笑うとどこか子供っぽくなる。それに庇護欲を掻き立てられるのか、身長180を超す成人男子『畑野カカシ』を女性陣は母親が子に接するがごとく、男どもにいたってははかよわい乙女を守るがごとく扱ってきたのだ。
それが今更、正体は里最強の忍びでございましたと言われては、どう接していいのかわからなくなるではないか。なのに元凶はえ〜、と口を尖らせた。
「言いがかりだ。オレだって上から言われてしょうがなくカカシさんの正体隠してたんだ、いわば被害者だぞ」
元凶は悲しげに首を振る。
「忍ぶ恋がいかに辛かったか、お前らにはわかるまい」
「わかるかーっ」
「っつか、センベイ食いながら言われてもなっ」
ビッ、と指を突きつけられイルカは齧りかけの海苔センベイをかかげてみせた。
「あ、コレ?カカシさんからの差し入れだ。都で行列のできるセンベイ屋なんだと。旨いぞ、お前らも食えば?」
パリ、という音とともに海苔しょうゆの香ばしいかおりがたつ。確かにいいセンベイらしい。
「食うよ、食うけどねっ」
「差し入れ人の家族が一番先に食う?」
「っつかイルカ、お前、オレらの大変さ、ぜんっぜんわかってないだろうっ」
「え?」
海苔センベイをくわえたまま首を傾げることの元凶に同僚達は詰め寄った。
「いいかイルカ、わかれ、想像しろ、オレ達はこないだまで、畑野さんは忍びのことをあまり知らない一般の里人だと思っていたわけだ」
「おぉ、オレがそう紹介したからな」
「そうだよ、お前がそう言ったんだ。んで、長い事木の葉を離れてたんなら忍び、珍しいだろうなって思うじゃん」
うん、とイルカが頷く。
「珍しいなら教えてあげようって思うじゃん」
「木の葉で暮らすんだから知って欲しいなって思うじゃん」
「で、オレらの職業、教師じゃん」
そこまで言って、同僚達はくっ、と何かを堪えるように顔を歪めた。
「里最強の上忍つかまえて忍びの心構えを語ってしまった」
「チャクラの説明とかさっ」
「忍術の披露までしちゃったよな」
「畑野さんもチャクラ練ってみますかって」
「オレ達、教えてあげますよって」
イルカがまた頷いた。
「よくやるなぁって思ってたんだよ、里一番の業師に向ってさぁ」
「言うなーーーーっ」
わぁぁ、と同僚達が倒れ伏す。
「このいたたまれなさ、どーしてくれるっ」
「あ〜」
床に沈む同僚達を眺め、イルカは困ったように頬をかいた。
「大丈夫だよ、カカシさん、そんなこと気にする人じゃないし」
同僚達が僅かに顔をあげイルカを見た。その縋るような眼差しにイルカは力強く親指をたてる。
「むしろ可愛いって思ったんじゃないかな?ほら、一人前の口きく年少さんってすげぇ可愛いじゃん」
「「「「ぎゃ〜〜〜」」」」
無意識に傷口を抉ってくるイルカに同僚達がまた沈もうとした時だ、メキョ、と床が嫌な音をたてた。先輩教師、七草スズナのピンヒールが床にめり込んでいる。
「過去はいいのよ、そんなこと、今更どーだって」
儚げで美しい外見とは裏腹に、アカデミー随一の凶暴性を持つスズナの体から禍々しいオーラが立ちのぼりはじめた。
「問題はねぇ、もうすぐ写輪眼のカカシがこの天然ボケを迎えにここへ来て」
え?え?と天然ボケと名指しされたイルカが怯えたように後ずさる。七草スズナの切れ長の眼がカッと開いた。
「写輪眼のカカシの格好のまま、『畑野カカシ』扱いされたがるってことなのよっ」
「「「「そうでしたーーーー」」」」
アカデミー職員全員を巻き込んだ「写輪眼のカカシ恋人騒動」が治まったあと、写輪眼のカカシは職員室に謝罪に訪れた。その時のことを思い出すと今でも胸が痛む。
職員室のドアを開け、イルカとともに写輪眼のカカシが入ってきた時、やはり職員達は畏まった。知らなかったとはいえ、里一番の上忍に対して随分と気安く接してきたことに恐縮しまくっていたのだ。カチコチに緊張した職員達に『写輪眼のカカシ」は頭を下げた。職員達は慌てた。
「はたけ上忍、頭をお上げ下さい」
「オレ…私達こそ、随分と失礼なことをっ」
あわあわとしていると『写輪眼のカカシ』は口布を下ろし額当てをとった。そこにいたのは、まぎれもなく『畑野カカシ』その人。
『畑野カカシ』はぽつ、と言った。
「ここでの時間はとても温かくて楽しかったんです」
『畑野カカシ』は儚げに笑った。
「オレにとって宝物のようなひとときでした」
それからふっと目を伏せた。
「わかっています。皆さんを騙していたオレが今までと同じように付き合っていきたいなんて虫が良すぎる。オレにそんな資格は…」
小さく呟くように言う。
「そんな資格、オレにはありません…」
俯く『畑野カカシ』はひどく悲しげで、今にも消えてしまいそうだ。
ずぎゅーん、と何かが教師達の胸を貫いた。
なんということだ、『畑野カカシ』さんが悲しんでいる。そんな辛そうな顔をして、だめだ、『畑野カカシ』さんにそんな顔させちゃダメだっ
思わず職員全員はそれが写輪眼のカカシだということを忘れ駆け寄った。そして口々に言ってしまったのだ。
何を言うのだカカシさん、例えアンタがなにものであろうと、我々が今まで築いてきた絆は変わらない、いつだってここへきて、今までどおりにお茶飲んでくれ。
冷静に考えてみると、アカデミー職員でもない部外者が職員室に入り浸るなど言語道断なはずなのだが、悲しげな『畑野カカシ』さんの姿にその時職員達の理性はふっとんでいた。
「ほら、カカシさん、そんな顔すんなよ」
「そうそう、畑野さんが元気ないと私達まで萎れちゃう」
「お茶飲んでいきます?あ、そうだ、七花亭のガトーレーズンあるんですよ?コーヒーにしましょうか」
「うみのっ、何やってんのよ。カカシさんに椅子もってらっしゃい。さ、カカシさん、座って座って」
『畑野カカシ』が顔をあげ、にこ、と笑った。スズナやヒラマサをはじめ、職員全員がホッと胸を撫で下ろす。
「本当ですか?今までどおりここへ来ても?」
おずおずと言う『畑野カカシ』に皆、力強く頷いた。
「あったりまえじゃないか」
「カカシさんはカカシさんだろ?」
「カカシさんにはいつも笑っていて欲しいもの」
そう肩や腕を叩いたとき、するり、と口布が引き上げられた。額当てが斜めに結ばれる。そして目の前に出現したのは里の英雄『写輪眼のカカシ』。
一瞬にして全員が凍り付いた。
「よかった。ありがとう。ホント、嬉しいです」
カチコチになった職員達に弾んだ声が降ってきた。
「火影様に呼ばれているんで今日は失礼しますけど、また遊びに来ますね」
にこ、と『写輪眼のカカシ』は目を細めた。教師達は凍り付いたままだ。
じゃあね、と『写輪眼のカカシ』は職員室を出て行く。機嫌良く去っていく里の誉れの背中が廊下の先に消えてからも、誰一人動くことが出来なかった。
以来、本当にカカシは気楽に職員室へ遊びに来た。もしかしたら『畑野カカシ』の時よりも頻度は高いかもしれない。
そしてアカデミー職員全員が、あの時うっかり流されてしまったことを激しく後悔した。つまり、心と行動が一致しないのだ。
口布をした『写輪眼のカカシ』を前にすると、いくら中身が『畑野カカシ』さんだとわかっていても緊張でカチコチになってしまう。呼び名も「はたけ上忍」だ。すると毎回必ず、カカシはひどく悲しそうな顔をして口布を下ろした。その顔が『畑野カカシ』だと認識した途端、今度は庇護欲が噴き出す。結果、ベタベタ構い倒してしまうのだが、去り際、口布を引き上げられると、頭では同一人物とわかっていても再び最敬礼してしまう。
悪循環だ。
同じ態度で接しようといくら努力してみても、いざその姿を前にすると、脊髄反射で別物の反応をするのだからどうしようもない。こんなことなら最初から、職員室に来るときは口布をしないでくれと、写輪眼のカカシの姿の時は敬礼しますと宣言しておけばよかった。だが後の祭り、カカシが口布を上げ下げするたびに、右往左往するはめに陥っている。
最近ではどうやらカカシもそのギャップを面白がっている節があり、練習練習、と言いながら何度も口布を上げ下げするものだから、職員達はヨレヨレになっていた。
そこで、写輪眼のカカシを見ても『畑野カカシ』だと認識するよう、全員で自己暗示を試みているところだ。
「さぁ、こんな天然ボケに構っている暇はないわ。練習しましょう」
スズナの一声で職員達は立ち上がった。ことの元凶、うみのイルカはシッシッと部屋の端へ追いやられる。写輪眼のカカシは畑野さんっ、と声が響きはじめたので、イルカはしかたなく隅の机にお茶の急須とセンベイを移動した。と、そこには先客がいた。気配が薄かったので気がつかなかった。
「教頭先生?」
何やってんだ?
イルカはぽかんと教頭をみつめた。規則規則とこうるさい教頭が、一人で静かにお茶をすすっている。いつもなら職員室で何の騒ぎですか、と小言がとんでいるはずなのに、彼は静かだ。その口元にはうっすら微笑みすら浮かんでいる。イルカの存在に気付いているはずだが、教頭はじっと顔を正面にむけたままだ。
「あっあのぉ、教頭先生…?」
「いいんですようみの君、もう私は終わったも同然ですから」
は?
教頭はお茶をずず、とすすった。
「終わったんです」
はるか彼岸でも見つめているような眼差し、イルカはおずおずとその横の椅子にかけた。
「あっあのぅ…」
「いえね」
イルカが問う前に教頭は語りはじめた。
「あの日、出張から帰ったら畑野カカシ君が職員室にいたんですよ。えぇ、いつものように皆をはべらせてね、まぁ、責められるべきは畑野君ではなく、アカデミー教師として甚だ自覚の足りない君達職員一同なんですがね」
「…はぁ」
やぶ蛇か、とイルカは逃げの体勢に入った。だが、教頭のまとう空気が悟りの境地とでもいおうか、妙に静かだ。
「ただね、その時、畑野君が忍服を着ていたんですよ。しかも中忍以上にしか許されないベストまで着て。」
「はぁ…」
「だからね、どうせ悪戯好きな君が畑野君に自分の忍服を着せてまたふざけてるんだろうと」
「は?」
「だがこれはちょっとやりすぎだろうと」
悪戯ってオレ、そんなことしません、イルカは一瞬抗議しようかと思ったが、教頭のあまりに淡々とした態度に口をつぐんだ。教頭もイルカに小言を言いたいわけじゃないらしい。
「だから私は畑野君を机のところまで呼びつけましたよ。やっぱりけじめは大事ですからね、若い者の過ちを正すのは年長者の義務ですし。えぇ、説教しましたとも。君は忍服をなんと心得とるかと、心に刃を置く忍びの覚悟があってはじめてそのベストに袖を通す資格が出来るのだと。私は彼が上忍だってこと、聞いてませんでしたからね」
「げっ…」
「しかもよりによってはたけ上忍…写輪眼のカカシだなんてね」
あちゃ〜、とイルカは口元をひくつかせた。あれだけ騒ぎが大きかったからてっきり知っているものと思い込んでいたが、そういや教頭は一週間ほど里をあけていたんだった。
「説教が一段落して、わかりましたかって聞いたら彼ね、深々と頭を下げて、もう一度忍びとしての自覚のありようを心に刻みつつベストに袖を通しますってね、言うもんだから、わかってないじゃないの、まだ忍服コスプレやるつもりかねって私、机叩いてね」
「教頭先生、コスプレってよく知ってましたね?」
「いいんですよ、そんなことは」
うっかり話の腰を折ってしまったイルカは身を縮める。だが、教頭は穏やかに微笑んだままだ。
「いや、びっくりしたなんてもんじゃなかった」
ははは、と教頭は乾いた笑い声を上げた。
「その時横のドアが開いて、ほら、教頭机って前の出入り口の横ですからね、そこにいたんですよアレが」
「アレ?」
「暗部ですよ」
その後の展開がわかりすぎるほどわかってイルカは気の毒そうに教頭を見た。はは、ともう一度教頭は笑う。
「先輩、全員集合しました。ご命令をってね、畑野君にむかって暗部が」
「あ〜、それは…」
「畑野君、顎のところに布がたまってて、私はてっきり、君の首が太いから畑野君が着るとしわしわになるんだと思ってたんだけど」
余計なお世話だ。
「口布の部分だったんだね、斜めに額当てまいたら、写輪眼のカカシになったじゃないの」
「………」
「ドアのとこの暗部から凄い殺気が私に向ってきてね、お前、我々の先輩にむかってどんな口きいたって、もう私、動けなくてね」
「そりゃあ…」
「彼が止めてくれたけどね。しかもね、お話しありがとうございます、任務ですので失礼します、だって」
「………」
「彼、礼儀正しいね、君も見習いなさい」
だからなんでオレ!
教頭はほぅ、と一つ息を吐くと、お茶を飲もうとして手を止めた。湯のみはすでに空で、イルカは自分用に煎れてきた急須のお茶を黙って注いだ。じっと教頭はそれを見つめている。
「彼、火影候補なんだって?まだ若いからもう少し経験積ませてからって三代目ご自身がおっしゃったって?」
「はぁ、国主様にそうおっしゃったとかで」
「そう」
教頭はお茶を一口のみ、息をついた。
「あ、でも、本人は全然その気がないっていうか、むしろ嫌がっていますから大丈夫っていうか」
何が大丈夫なのかよくわからないままイルカはあわあわと言った。
「うん、でもどっちにしろ彼が里の誉れなのは変わんないから、私、終わっちゃったから」
ふふ、と笑う教頭の顔は悟りを開いた者のようで、イルカは黙って行列の出来るセンベイ屋のセンベイを差し出した。教頭が手にとったのはざらめ醤油センベイだった。
「イルカ先生、いますかぁ」
ガラリ、と職員室のドアが開いた。
出た!
アカデミー職員一同、臨戦態勢になる。スズナがそっと檄を飛ばした。
「いい、後ろにいるのは『畑野さん』よ」
「ウィッス」
振り返って笑うのだ。こんにちは、カカシさん、いらっしゃい、カカシさん、言うべき言葉は決まっている。第一声が肝心だ。イメージトレーニングは完璧、さぁ、声をかけよう。
「こんにちはっ」
「いらっしゃいっ」
バッと一斉に振り返った。
「「「「カカ…っはったけ上忍っ」」」」
「ブブー、はい、ふごうかっくー」
不合格宣告にがくり、と職員一同、膝から崩れ落ちた。だめだった、今日も玉砕だ。目を上げると写輪眼のカカシがにこにこと笑っている。
「まーだ慣れないんですねぇ」
そう言いながらするり、と口布を下ろした。そこにいるのは確かに『畑野カカシ』さんで…
わぁ、と職員達がカカシに群がった。
「ひどいよカカシさん」
「せめて最初は口布下ろして入ってよ〜」
「もう、意地悪なんだからぁ」
やいのやいのと文句を言う。スズナが首を振りながら嘆いた。
「ほんっと、勘弁して頂戴。毎回大変なのよ」
それからにっこりと母親のように微笑む。
「まぁいいわ、カカシさん、座って。マスカットティーあるわよ。この間から気に入って…」
するり、とカカシが口布を上げた。ピキ、とスズナが固まる。
「…らっしゃいましたよね、はははたけ上忍」
するり
口布が下ろされる。
「………」
「……へへ」
「へへ、じゃないわよこのクソガキぃ」
ぶん、と拳が振り上げられる。
「わ〜〜〜」
身の危険を感じたカカシが慌てて口布を上げた。一瞬、スズナが目を見開き、拳の軌道が横へ大きくずれた。
「ふぎゃっ」
ヒラマサが職員室の隅までふっとんでいく。だがスズナは自分がふっとばしたヒラマサには一瞥もくれず、ピンと背筋をのばしたままだ。
「しっ失礼しましたわ、はたけ上忍」
「わぁ、ごめん」
慌ててカカシが口布を下ろした。ヒラマサを指差す。
「だっ大丈夫かな、ヒラマサ…」
その途端、がくり、とスズナは膝をついた。
「だめだわ…私は私に負けた…」
「あっあの、スズナ姐さん?」
「なんのためのイメージトレーニング?未熟だわ、忍びとして私は未熟…」
すでにスズナの視界にカカシは入っていない。ぶつぶつと呟きながら自分の世界に引きこもってしまっている。
「だめだ、スズナの姐御にも無理なら、オレらに越えられるわけがねぇ…」
怯む男どもの中で若い女子職員が拳を握った。
「諦めないで。スズナさんが言ったでしょ、自分が無理なら屍を乗り越えていけって」
その目には並々ならぬ決意が宿っている。
「そうだな」
他の職員達も頷いた。
「口布が下りている今がチャンスだ」
ざっとカカシの周りを囲む。
「カカシさん、オレらが茶、いれるし」
「そこ、座って」
「え、でもヒラマサが…」
「「「大丈夫、イルカが面倒見るからっ」」」
端っこの机の後ろからイルカが親指をたてた。カカシは促されて『畑野カカシ』専用の椅子に腰掛ける。いそいそとお茶を運んでくる職員達に礼をいうと、小首を傾げた。
「う〜ん、そんなに慣れないもんなの?」
「そりゃカカシさん、無理だって」
ひらひらと一人が手を振った。
「カカシさんさぁ、もっと自覚したほうがいいよ」
「はたけ上忍っていや、伝説の忍びだからさぁ」
「姿みただけで緊張しちゃうんだって」
「え〜」
カカシが口を尖らせた。
「普通なのに」
若い女子職員がお盆にあれこれのせてきた。
「カカシさん、こっちお菓子〜」
バシバシと教師の一人がカカシの背を叩く。
「ったく、自覚ねぇってのも困りモンだな」
「そう思ってんのは本人だけな…」
するり
「であらせらりますっ、はたけ上忍っ」
「こちらにお菓子、用意いたしましたでございますっ」
「こっこりゃ失礼申し上げそーろーっ」
バシバシ背を叩いた手を万歳の形にして固まった顔をのぞきこみ、カカシはまた口布を下ろした。じわ、とその教師の目に涙が滲む。カカシが頭をかいた。
「てへ」
「てへ、じゃなーいっ」
「ゼッテー遊んでる、この人、ゼッテーオレらで遊んでるぅっ」
「え〜、心外だなぁ。オレはただ、早く慣れてもらいたいなぁってそれだけで」
「「「「ハイ、嘘っ」」」」
道のりは遠く困難を極めそうだった。
「や〜、今日も皆さん、慣れませんでしたね〜」
「とかいって、最近じゃ面白がってるでしょう」
「はは、だって嬉しいじゃない」
そう、カカシは嬉しかった。皆、『畑野カカシ』を大切にしてくれている。名のある上忍とお近づきになろうと打算ばかりで群がる連中が多いというのに、彼らは『写輪眼のカカシ』ではなく、『畑野カカシ』との絆を大事に思ってくれる。その気持ちがとても嬉しい。だからつい、じゃれてしまうのだ。それがわかっているのでイルカもただ、笑ってみている。
「そういえば子供達の方はどんな感じです?」
「ん〜」
カカシは少し肩を落とした。
「カカシ先生、にはとっても厳しいくせ、『畑野カカシ』になってると三人とも凄く優しいんだよね…」
はぁ、とため息をつく。
「サクラや他の班の女の子達にいたっちゃ、もう何なの?ってくらい態度違うの、百八十度、真逆、なんで?」
ははは、とイルカは笑った。
「そんだけ素顔のアンタはイイ男なんですよ」
それからそっと耳元に口を寄せる。
「でも、オレ以外に目ぇ向けちゃダメですからね」
「それは先生も、でしょ?」
ふふ、と笑い合う。
「あ〜、君達、そういうことは帰ってからやりたまえ」
「あ…」
「ここは職員室だからね、けじめをつけるように」
カカシの口布攻撃に敗れた職員達の屍が累々と重なる中、すっくと立っていたのは教頭だった。
「用がなければとっとと帰りたまえ」
びし、と出口を指差される。イルカが目を瞬かせた。
「あれ、教頭先生、終わったんじゃなかったんですか?」
「終わったさ」
ふん、と教頭は鼻を鳴らした。
「終わったからもう私に怖いモノはな〜んにもないのだよ」
カカシとイルカは顔を見合わせ、それからブハッと噴き出した。教頭が怒鳴る。
「何がおかしい。ご希望とあらば年長者として君達にたっぷり言い聞かせることが」
「失礼します」
「さよーなら、教頭先生」
「待ちなさい、うみの君、畑野君っ、まだ話はっ」
バタバタと二人は職員室から逃げ出した。
「また明日ー」
「何を言っとるか、部外者が気安く職員室に、こら、聞きなさいっ」
教頭の怒鳴り声が廊下まで追いかけてくる。二人はまた顔を見合わせ、腹の底からおおいに笑った。
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